赤れんが倉庫探検ツアー

舞鶴に鎮守府が開庁したのが1901(明治34)年。
それに合わせて赤れんが造りの海軍倉庫が舞鶴港周辺に建てられた。
現在残っているのは12棟で、その内3棟は現在も海上自衛隊が現役で使用しており、1号棟〜5号棟は外装はそのままで内部は博物館、お土産売り場、食堂、スタジオやイベントスペースとして利用されている。

その他は当時のまま残されており、重要文化財として一般公開はされていない。
が、まいづる広域観光公社が企画している舞鶴赤れんがガイドツアーに事前予約すれば、これらの建物に入る事が可能だ。

そんな訳でそのツアーに参加してきた。


46万7千個のれんが達。
この長いれんがの列の上に短いれんがの列を組み合わせていく積み方は
イギリス積みというらしい。早く頑丈に組み立てていける積み方だ。
黒ずんで見える所は経年の汚れではなく、派手な赤い色をアメリカの飛行機に狙われぬよう、黒く塗装した跡のようだ。
地面に接する所に防水の為に漆塗りしたラインが入った棟もある。


さて、いよいよこのツアーのみで中に入れる棟へ。
上の方に丸い窓があるのが明治時代に作られたもの。
左側の四角い窓の棟は大正時代のものだそうだ。
明治時代の方が金があったので、凝った事が出来たようだ。

鍵が開けられ中へ。
ツアー以外の人が入らぬよう、一応、立入禁止の札が扉に掛けられる


誰に見せるともなくただ放置されているだけの倉庫なので、朽ちていく建物だなぁ、ぐらいの感想しかない。
当時の消火器などはおもしろかった。
台車のような物は、ここを撮影に使った映画の小道具がそのまま残っているだけ。
作り物なので非常に軽い力で動かせる。
雰囲気はあるよね。


窓枠の補修用に貼られた新聞紙がいい感じの素材になっていたんで何枚か撮影。
昭和30年頃の物との事だが、それはそれで当時を知る貴重な資料。


柱の補強もなんだか物を敷き詰めているだけで危なっかしい。
因みに、この重要文化財の倉庫群、管理してくれるオーナーさんを入札で募集しているとの事。
ロマンがあるが、維持費相当かかりそう。。


ここの倉庫群の石の道、数年前までは土の中に隠れていた。
「あれ?なんかあるぞ」と気付いた市民、学生ボランティアさん達が学校帰りや休日にせっせ、せっせと土を取り除いて道を掘り起こしたんだって。


さてさらに西の方へと向かい、見えてきた舞鶴造修補給所。
ここのれんが倉庫3棟が現役で海上自衛隊が使用している。
通りの歩道沿いの金網には舞鶴海上自衛隊の活動PRの写真がズラ〜っと飾られている。


イージス艦“みょうこう”が正面にどーん、と見える。
艦船好きは知っているとは思うが、“みょうこう”の艦長は日本人初のイージス艦女性艦長だ。
ここは海上自衛隊 北吸(きたすい)係留所。
現在はコロナ感染対策で見学不可だが、通常は土日祝のみ開放している。


ここから脇の登り坂を上がっていく。
真下の港に先程の“みょうこう”が見える。
旧北吸浄水場施設。
舞鶴鎮守府で働く人々、停泊する艦船の為の貴重な飲水の供給源であった場所だ。
こちらも普段は公開されていない施設である。


またしても禁断の扉を開けて中へ入る。
さすがにここまで来る猛者はそんなにいない為か、立入禁止の札は無し。
6キロ離れた貯水池から高低を使って流れてきた水が、この浄水場の中で右から左、左から右とS字に流れていき、下の港へ、船舶達へと供給される。
凄まじい量の水が流れていたんだなあ、とその大きさに圧倒される。


水の中にただ沈んでいるだけ壁面だが、凝ったオシャレな石の積み方をしているのには訳がある。
人が飲む為の水なので、濁るとこの壁面のデザインが見えなくなる。
常に新鮮な水である事を上から覗いて簡単に確かめられる為なのだ。
この遊び心がたまらない。


浄水場外の止水栓(散水栓?)の蓋に当時のままの日本海軍を表す波マークが確認出来る。

右2つの写真は、浄水場から降りて流れてきた水が通る管。
北吸係留所横の歩道にあるので、すぐにわかる。

約1時間半ちょっとのコース。
30度を超える気温の中、そんなにへばらずに行ける時間、距離かな。
舞鶴を訪ねる際には是非。